しろさとinterview♯02【加藤木工】加藤宜之さん・和也さん

・戦後から続く木工の系譜と家業を選んだ理由
・危機の時代と、再起のはじまり
・2度目の危機と企業理念の誕生
・新しいビジョン――「ものづくりから集まる遊び場」
・地域との循環:「木と人をつなぐ」
「先代が守ってきた技術と誇りを受け継ぎ、長く愛される “ものづくり”を続けていきたいんです。」
そう語るのは、加藤木工の3代目代表取締役・加藤宜之(かとう・のりゆき)さん。
加藤木工は1945年、旧桂村(現・城里町)で創業し、特注家具や建具の製造を手がけてきました。
戦後の復興期から始まり、時代の変化に合わせて歩みを続ける中で、受け継がれてきたのは“木と誠実に向き合う姿勢”。
現在は、兄の宜之さんと弟の和也さんが中心となり、伝統と革新を融合させた新しい木工の形を追求しています。
今回はお二人に、加藤木工の歩みや家業を継ぐまでの経緯、そして「誇りを持ったモノづくり」に込めた想いを伺いました。
戦後から続く木工の系譜と家業を選んだ理由

加藤木工の加藤宜之さん(左)・和也さん(右)。兄弟で会社を継いだ経緯を語る
< 80年続く加藤木工の歩み >
――加藤木工さんは、今年で創業80年を迎えられるそうですね。
宜之さん:
創業は1945年、場所は城里町の旧桂村。
初代――私の祖父が、戦後間もない混乱期に立ち上げました。
当時はまだ物資が少なく、家を建てるときはお米と引き換えに大工さんへ依頼していた時代です。家具や建具もリヤカーで運び、すべてが手作業。祖父は木工の技術を若者たちに教え、その弟子たちが独立して町のあちこちに木工所を開いたと聞いています。
1970年には二代目の父が会社を引き継ぎ、現在の工房に移転。私が子どもの頃、その工房はいつも木の香りと職人たちの声があふれていました。木で作ってもらったおもちゃは、今でも心に残っています。
――家業を継ぐ意識は、子どもの頃からあったのですか?
宜之さん:
高校の頃から建築には興味がありましたが、当時は家業を継ぐ気はありませんでした。
就職活動中に偶然見つけたJR東日本の求人に応募し、水戸駅で駅員・車掌として4年間勤務。安定した仕事でしたが、次第に「自分の手で何かを成したい」という想いが強くなりました。祖父や父のように、“ものづくりで生きる姿”への憧れが心のどこかにあったのだと思います。
思い切って退職し、建築の世界へ。設計から施工まで手がける会社「ケイクラフト」に入社し、住宅のものづくりの現場を経験しました。「ただ作る」だけでなく、お客様と対話を重ねて形にしていく家づくりの面白さを学びました。

ケイクラフト時代の宜之さん(左上)。JR東日本に勤めていた当時、
休日に現場を手伝い続け、その熱意が認められて入社に至った
当初は「建築家」になりたいと考えていたのですが、建築の仕事を続ける中で、家業の木工を見直すようになりました。
建築家が建物全体を設計するのに対し、木工職人はその一部を“木で形にする専門家”。
その「ものづくり」の世界に惹かれたことと、家業の経営が厳しい状況だったこともあり、26歳で加藤木工に入社しました。
――弟の和也さんは、どんなきっかけで家業を継いだのでしょうか?
和也さん:
私は地元の商業高校から横浜の大学へ進学しました。もともと家業を継ぐつもりはなく、一般企業に就職すると思っていました。
ところが大学4年のとき、家具づくりに興味を持ち、専門学校の「家具プロダクトデザインコース」に通い始めました。そこで木工の奥深さに魅了され、「職人として生きたい」と思うようになったんです。
修行の場として家業を選び、卒業後に加藤木工へ。
最初は短期間のつもりが、気づけば20年。実は兄より勤続年数が長いんですよ(笑)。
危機の時代と、再起のはじまり

加藤木工が手がける特注制作。
前例のない依頼にも、培ってきた技術や発想で応え続ける
< バブル崩壊と会社の危機 >
――ご家族で会社を支えるようになったのですね。当時の状況はいかがでしたか。
宜之さん:
1990年のバブル期には、売上が8000万円ほどありました。しかし、時代の変化とともに既製品の「ユニットドア」が普及し、オーダー建具の需要が一気に減少。仕事がなくなっていきました。
和也さん:
私が入社した2004年頃には、会社の経営はすでに赤字。職人も次々に辞めていき、最後は父と私の二人だけに。存続すら危うい状況でした。
宜之さん:
その時、私は建築の仕事をしていましたが、家業の危機を知り、2006年に加藤木工に入社。父・弟の3人で再スタートを切りました。
< 新しい技術と出会いが拓いた道 >
――どのように会社を再起させていったのでしょうか。
宜之さん:
私は建築士としての経験を活かし、建築家や設計事務所とのつながりを広げました。これまで工務店中心だった仕事にデザイン性が求められる案件が増え、次第に「加藤木工が面白いことをやっている」と評判も広がっていきました。
また、2015年には、コンピュータ制御で高精度の加工ができる「NCルーター」を導入。
曲線や複雑なデザインも可能になり、売上は3000万円から6000万円に2倍に跳ね上がりました。
その後も順調に伸び、売上高は1億円を突破。2018年に法人化し、私が3代目として新たに舵を取りました。

NCルーター。夢の機械を手に入れ、希望に溢れていたという

NCルーターを使用して制作した特注椅子。シンガポールのグッドデザイン賞を受賞
2度目の危機と企業理念の誕生

向き合い、語り合う。 モノクロームの中の、確かな決意
< 売上拡大の裏で崩れかけた組織 >
――建築家とのつながりや、伝統技法と最新機械の融合によって、会社は順調に成長されたのですね。
宜之さん:
数字だけ見れば順調でしたが、現場は常に逼迫しており、休みもなく働き詰めの毎日でした。社員は増えたものの、辞めていく人が後を絶たず、会社全体の空気がどんよりとしていたんです。
ある日、社員から「この会社はどこに向かっているんですか」と問われ、私は「楽しい会社にする」と答えました。でも、その言葉は誰の心にも届かなかった。
目の前の仕事に必死で、“この先に何を目指すのか”という軸を、私自身が持っていなかったんです。
――順調に見えた裏で、組織のひずみが生まれていたのですね。
宜之さん:
そんなとき、私を支えてくれたのが妻でした。
大手コーヒーチェーンで店長経験をもつ彼女から、「会社には理念が必要。目指す方向を共有しなければ、人はついてこない」と教えられました。
しかし当時の私は、「理念なんてなくても、仕事を取ってくれば会社は回る。」と簡単には受け入れられなかった。
ところがある日、社員に「社長を交代してください。会社の未来を考えられるのは奥さんです。」と言われ、完全に行き詰まりました。
悩んで出した答えは、「変わるのは自分だ」ということ。
先代の想いを知る自分が変われば、会社も変わる。
そう覚悟を決め、もう一度、社員と真正面から向き合うために立ち上がりました。
< 理念を社員とともに育てる >
――そこから、どのように再起していったのでしょうか。
宜之さん:
まずは加藤木工の理念と経営指針を見つめ直すため、「茨城県中小企業家同友会」で1年間学びました。
学んだことを社員と共有しながら事業を整理し、会社の方向性を整えていきました。
その過程で生まれたのが、
” 誇りを持ったモノづくりで美しい時間を届ける” という理念です。
「自分たちはどんな想いで仕事をしてきたのか」「80年続いてきた会社の価値は何か」――。
社員全員で何度も話し合い、「誇り」「モノづくり」「美しい時間」という言葉に行き着きました。
“誇り”とは、家族に誇れる仕事をすること、受け継いだ技術を守ること、地域に貢献すること、プライドを持って仕事に打ち込むこと。
その一つひとつが、加藤木工の原点でした。

理念が息づく制作のひとつ。ウェグナー(※)の意匠を軸に、
オーク材と英国製ホースレザーで仕立てたオーダーソファ
※ハンス・J・ウェグナー(1914-2007)…20世紀を代表する、デンマークの家具デザイナー。生涯で500点以上の椅子を創り出し、「椅子の巨匠」として称される。
< “美しい時間”とは >
宜之さん:
私たちのモノづくりは、ただ“作る”ことではありません。
誇りを込めた家具や建具を通じて、人々の暮らしに「美しい時間」を届けたい。
たとえば、100年使えるテーブル。
家族が食卓を囲み、「このテーブルはおじいちゃんの代から使っているんだよ」と語り継がれる――そんな光景を思い描いています。
さらに、ものづくりを通して人を育て、地域に貢献し、技術を継承していく。
その循環こそが、私たちの考える「美しい時間」です。
理念が定まったことで、ようやく“次に描くべき未来”が見えてきました。
新しいビジョン―「ものづくりから集まる遊び場」

加藤木工の強みは 「技術力」 「提案力」 「チーム力」
< 夢の工房をつくろう! >
宜之さん:
理念が定まり、「10年先、どんな会社でありたいか」を社員と考えました。
利益ではなく、自分たちが心からワクワクできる未来を描きたかった。
そんな時、社員が “夢の工房” を語っている姿を見て、「これだ」と思いました。
理想の環境で、みんなが誇りを持ってものづくりを楽しめる――それこそが、加藤木工らしい未来の形だと感じたんです。
目指すのは“モノづくりが集まる遊び場”。
工房の隣にある約700坪の土地を活用し、カフェやショップ、イベントスペース、オフィスを併設した「人が集まる工房」をつくりたいと考えています。

この「遊び場」という言葉には、私の原体験が関係しています。
幼いころ、工房の隣の森で秘密基地を作って遊んでいたんです。今度はその場所を、大人も子どもも楽しめる“新しい基地”として蘇らせたい。
職人も地域の人も、お客様も交わる、開かれた場所にしたいと思っています。
< ビジョンを実現するために >
宜之さん:
とはいえ、「夢の工房」を実現するには多くの時間と資金が必要です。
だからこそ、「ヒトづくり」「コトづくり」「モノづくり」の3つを柱に段階的に進めています。
たとえば、新入社員教育ではマニュアルやスキルマップを整備し、成長を“見える化”。
環境整備では工房の改修を進め、技術面では資格取得を支援し、2024年には家具1級技能士が2名誕生しました。(家具1級技能士4名在籍)
さらに、視野を広げ、より高いレベルのものづくりを学ぶため、北海道・旭川へ研修旅行にも行きました。日本を代表するデザイン都市で最前線の技術や思想に触れたことで、“自分たちがどこに立っているのか、これからどう進むべきか”が明確になり、社内の意識も大きく変化しました。
一歩ずつではありますが、確実に「夢の工房」への土台が育っています。
地域との循環:「木と人をつなぐ」

2025年7月に行われた「舞鳥祭10周年記念」のイベント出店。総勢20名で参加した
< 木工屋台から広がる“木との出会い” >
――加藤木工さんは、「木工屋台」としてイベントに出店するなど、地域とのつながりも大切になさっていますよね。
宜之さん:
「木工屋台」を始めたきっかけは、約10年前、横浜・赤レンガ倉庫の「グリーンルーム・フェス」に参加したことでした。
“砂浜、海、地球を守る”をテーマに、自然保護活動の展示やリサイクルワークショップが並び、私たちも木を扱う者として「環境を守るものづくり」を発信したい――そう強く感じたんです。
もともと社員たちがキャンプ好きでアウトドアギアを制作していたこともあり、2016年頃からキャンプイベントやフェスに出店依頼を受けるようになりました。
「舞鳥祭」や「いばらきキャンプ」などに出展し、約10年活動を続けています。
――イベント出店では、どのようなことを行ってきたのでしょうか。
宜之さん:
出店では、「ワークショップ」「物販」「木を知る展示」などを行っています。
たとえば、ワークショップでは「木製ビー玉迷路」や「木製小箱ギター」づくりなど、子どもから大人まで楽しめるものづくり体験を実施しました。

木製ビー玉迷路。コース設計から制作まで、子どもたちが自分で手がける

ミュージシャンとコラボした木製小箱ギター。制作後は参加者で演奏会を行った
職人たちが手作りした射的台やホッケー台などを並べた“木製ゲームセンター”も人気です。
さらに「木を知るエリア」では、森の木が製品になるまでのプロセスをパネルや木材サンプルで紹介。
木や森、自然、地球環境への理解を深めてもらうと同時に、私たちが大切にしている“ロングライフデザイン”――長く使い続けられるものづくりの理念を伝えています。
< 子どもたちに“木工の入り口”を >
――城里町内外の学校でも木工体験をされているとか。
宜之さん:
はい。地域の子どもたちにも“木と出会う機会”を届けたいと考えています。
たとえば、水戸桜ノ牧高等学校常北校や桂中学校では「イスづくり」の授業を実施。
生徒たちが描いたスケッチをもとに、木を切り、釘を打ち、自分の手でイスを完成させます。
また、那珂市の中学生の校外学習では、工房見学や「木製ハイパーヨーヨー作り体験」も行いました。
木に触れる、香りを感じる、形になる喜び――そんな“ものづくりの原体験”を通して、木工の魅力を感じてもらえたらと思っています。

工房見学と、木工体験のひとコマ。中学生が初めて手動カンナに挑戦する。

「木製ハイパーヨーヨー作り」。
ヤスリがけや塗装、組み立てを通し、木工の奥深さを体感した。
この町から、誇りを持って「美しい時間」を届ける

このチームで、この町から
――最後に、城里町の皆さんへメッセージをお願いします。
宜之さん:
城里町には、美味しいお米や豊かな自然、穏やかな景色など、この土地ならではの魅力がたくさんあります。
そして何より、地元を愛し、大切に思う人が多い。山や川、自然に惹かれて移住してくる人も増えています。
「何もない」と言われることもありますが、私はそうは思いません。
この町には胸を張って語れる良さがたくさんある。
せっかくこの地で事業をしているからこそ、ここから “城里発のものづくり”を全国に発信していきたい。
そして、地元の企業や大工さん、地域の皆さんと力を合わせながら、より良い町を育てていけたらと思います。
これからも、城里町を誇りに――。
ここで生まれる「美しい時間」を、全国へ、そして次の世代へとつないでいきたいですね。
――貴重なお話をありがとうございました。誠実に“ものづくり”と向き合う加藤木工さんの姿勢に、たくさんの気づきをいただきました。お忙しい中、取材にご協力くださり、心より感謝いたします。
Profile
株式会社 加藤木工
■創業:1945年(昭和20年)
■所在地:茨城県東茨城郡城里町粟726−1
■代表:加藤 宜之(かとう のりゆき)
■事業内容:オリジナル家具 デザイン、製作、販売
空間プロデュース事業 特注家具、内装提案
設計、特注家具、特注建具製作
■連絡先:TEL 029-289-3334 FAX 029-289-4180
■Webサイト:https://katowoodworks.jp
取材・文・写真(提供を除く) 関川恵実
写真提供 加藤木工
〜取材後記〜

逆境を乗り越え、弟・和也さんとともに会社を導く加藤宜之さん。
多忙な中、真摯に答えてくださいました(撮影:加藤和也さん)
今回のインタビューを通して改めて感じたのは、“誇りを持ったものづくり”の深さです。
お客様の声に丁寧に寄り添い、一緒に最適な形を考え、職人や協力業者と信頼を重ねながら、最後まで妥協せず仕上げていく。加藤木工さんが多くの人に選ばれる理由は、まさにその姿勢にあるのだと実感しました。
そして印象的だったのは、社員全員が理念とビジョンを共有し、同じ方向を向いて進んでいること。
どんな苦しい時期も、兄弟だからこそ本音で語り合い、支え合いながら前へ進んできた。
その信頼関係が、今の加藤木工を力強く支えているのだと感じます。
また、「ものづくりが集まる遊び場」という新たなビジョンにも心が躍りました。
職人、地域の人、そして訪れる人たちが交わり、木のぬくもりを通してつながる場所。
きっとこの町に、また一つ新しい“美しい時間”が生まれるのだろうと思います。
私自身も“いつか加藤木工さんにオーダー家具をお願いしたい”という新しい夢ができました。
お忙しい中、貴重なお話を聞かせてくださり、心より感謝申し上げます。

取材後のオフショット。
ご兄弟で誌面を眺める姿から、穏やかな信頼関係が伝わってきました
制作の裏側についてもお伺いできたので、また別の記事でご紹介したいと思います。お楽しみに♪
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
2024年1月から、まちづくり戦略課の地域おこし協力隊として就任しました。
主に観光・物産の振興・情報発信に関する業務を担当します。
WEBデザインやライティングを勉強したので、チラシ制作・文章制作などでお役に立てればと考えております。また、趣味でイラストも描いています。
城里町を盛り上げていけるよう、精一杯努めてまいります。
地域のイベントにも積極的に参加したいと思っています。
どうぞよろしくお願いします!
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