INFORMATION 城里町の情報

自己紹介と活動報告

レポート

こんにちは。令和2年12月まで農業政策課所属の地域おこし協力隊として活動していました、近藤友香(こんどうゆか)と申します。

平成30年5月に夫婦で地域おこし協力隊を任命していただき、独立就農を目指して活動してきました。

本来であれば、退任の際に活動報告をするのが慣例ですが、こんなご時世で機会を失ってしまったため、この場借りてご報告させていただきたいと思います。

  • 自己紹介
  • 移住のきっかけ
  • 活動報告
  • 現在の状況

の順にご紹介いたしますので、お付き合いいただけますと幸いです。

自己紹介

東京都武蔵野市でサラリーマン家庭の長女として生まれ、3歳からは埼玉県狭山市で育ちました。結婚後は、埼玉県所沢市・同入間市と住まいを移し、その後ご縁あって城里町にやってきました。

文学部印度哲学科卒業という一風変わった学歴を持っており、恥ずかしながら農業が理系の仕事とは知らずに飛び込んでしまった筋金入りの文系です。今になって、もっといろいろ勉強しておけばよかったと、とても苦労しています。

こちらに来る前は中学時代の部活動の名残で、25歳のときから約10年間、ママさんバレーボールのチームに所属していました。農繁期は体力勝負なので、デスクワークとはいえ、プライベートで少しでも体を動かす習慣があったことは、本当によかったと感じています。

仕事は色々と経験してきましたが、もっとも長かったのは電話受付センターの勤務です。10年以上の勤務の間に、多様なお客さまとの交渉から、受付センター全体の組織運営、クライアントとのお付き合いなど、一通りの仕事を経験できたことは、独立するにあたって貴重な経験でした。

移住のきっかけ

狭山茶の生産地 埼玉県入間市の茶畑

城里町に移住することになったきっかけは、平成29年に東京で行われていた地域おこし協力隊の募集イベントです。

もともと埼玉県出身のわたしたち、当初は関東エリアへの移住は考えておらず、北海道から沖縄まで全国のイベントブースをぐるぐると回っていました。ひととおり見学し終えて、さあ帰ろうと思ったそのとき、城里町の牛飼い募集の求人が、ふと目に留まりました。

非農家出身でも未経験から牛飼いになれる方法を探していたわたしたちにとって、城里町の求人はとても魅力的でした。そのままブースでお話を伺い、後日、城里町を見学させていただくことに。見学の際は、古内エリアの景色が地元の茶畑の景色と少し似ていて、親近感を感じたことを覚えています。

そして、出会って数ヶ月。何度かの面接を経て、城里町への移住が決まりました。

活動報告

平成30年5月 着任

夫、近藤 修とともに、地域おこし協力隊としての活動を開始。着任当初はイチゴ農家さんの元で研修をしながら、県が主宰する農業の栽培技術講座や、経営講座、繁殖和牛入門講座などに積極的に参加し、3年後の独立に向けた基礎固めを意識して活動していました。

平成31年1月 研修先の移動

当初は、夫とわたしとで経営分野を分けたほうが経営リスクを分散できるのではないかと考え研修先を別にしていましたが、このタイミングで、夫婦2人で牛飼いに専念していくことを決意し、わたしも牛飼いの研修に合流しました。協力隊の活動時間内は地域の繁殖農家さんの元で研修をさせていただき、休日は独立に向けてお借りした牛舎の整備を進めていきました。

牛が入る前のきれいになった牛舎

令和元年7月 最初の牛を導入

研修先農家さんのご好意で、高齢の母牛を譲っていただけることになり、はじめて自分たちの牛舎へ牛を導入。365日朝昼晩と牛を観察することで、これまでとは違った学びを得ることができるようになりました。

令和元年10月 市場から牛を導入

独立に向けて、市場から若雌牛の導入を開始。並行して町内農家さんの元での研修を進め、飼養管理について理解を深めます。この頃は、牛に食べさせる稲藁集めの季節でもあり、一斉に変わっていく景色に感動し、また毎日くたくたになる忙しさだったのを覚えています。

秋の稲藁集め

令和2年3月 はじめてのお産

我が家で最初のお産。最初のお産から逆子で、本来であれば30分程度で立ち上がるはずの子牛が、数日間立てず歩けず。獣医師や先輩農家さんから、万が一も覚悟してほしい、と言葉をかけられ、つらく不安な毎日を過ごしました。結果的には、治療の甲斐あって無事に育ってくれたので、本当によかったです。

最初の子牛「初太郎」と、お母さん「まさみ」

令和2年4月 死産の経験

我が家で2度目のお産でしたが、分娩事故で死産。自らの未熟さを悔やみ、独立後の経営に対する打撃に落ち込み、畜産業の厳しさを感じました。同じことを繰り返したくない一心で、何が事故の原因だったのか、夫と何度も何度も話し合いました。

令和2年5月 牛の増頭

死産に落ち込みましたが、悔やんでばかりもいられません。子牛の育成や若雌牛の導入と、研修と平行しながら独立準備を着々と進めます。この頃には、家畜市場でもたくさんの方に声をかけていただけるようになっており、町内外の先輩農家の皆さんから、たくさんのアドバイスをいただく日々でした。

令和2年12月 はじめての出荷/協力隊退任

3月に生まれた子牛が無事に大きくなり、いよいよ家畜市場へ出荷。出荷に伴って地域おこし協力隊を退任し、晴れて独立就農となりました。出荷はうれしくもあり、また寂しくもあり。とても複雑な感情で、言葉で上手に表現するには、まだまだ時間がかかりそうです。

現在の状況

これを書いている令和3年4月現在は、20頭のお母さん牛と6頭の子牛たち、そして愛犬くまと暮らしています。

次のお産予定は6月、出荷予定は秋、お母さん牛たちの妊娠鑑定結果も順調で、繁殖農家としてのサイクルが順調に回り始めました。たった数年ですが、積み上げてきたことが形になり、やりがいや手応えも一入です。今後は良い状態をキープしながら、さらにステップアップできるよう経験を積んでいきたいと思います。

最後に

城里町に縁もゆかりもなかったわたしたちを暖かく迎え入れ、そして応援してくださった地域の皆さんのおかげで、ここまで来ることができました。あらためまして、本当にありがとうございます。

今後は農業者として独立するとともに、わたしたちができる町への恩返しを少しずつ考えながら、しっかり地に足をつけて、がんばっていきたいと思います。どうぞ引き続きご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。

以上、地域おこし協力隊としての活動報告と現状のご報告でした。ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。